自己分析の話
この年齢になるまで自分のことがよく分かっていなかった。
人からアホだと言われれば、そうか私はアホなんだと思い込んだ。もちろん逆のパターンもある。他人の言葉がそのまま私の思考になることが多々あった。
この後に及んで、自分がどうすればいいのか本当にわからなくなっていた。
なけなしの冬のボーナスの大半を自己分析のプログラム受講にぶち込んだ。
少しずつ、見えて来るものがあった。自分1人で自己分析をしていたら、弱い所だけピックアップして自信を無くしていたかもしれない。
逆に見えなくなることもあった。私の特性ややりたい事がわかったとて、それを活かす場所があるのか分からない。結局、なし崩し的に仕事を探す羽目にならないだろうかと不安になったりする。
しかし、それらは全て私の空想であって、現実がそうだとは決まっていない。空想の世界は居心地がいいのだが、現実世界の自分はロボットのように思考がなく条件反射でその場を取り繕って生きることになる。
本当の自分がどんな奴かなんて、A4のレポートでまとめられるものではない。変化するし成長もする。分かっていても馬鹿をしでかす。
意思や根性でコントロールするのは難しいのかも知れない。
しかし、それらを見つめて許したり励ましたりすることは出来るかも知れない。
いつかそうなりたい。なるべく早く。
脈絡のない文章でしたが、現場からは以上です。
退職願を出しました
表題の件、退職願を上司に提出した。
納得してなかったのか、色々言われた。
遅すぎたのか早いのか自分でもよく分からない。もっとやれる事はあった。しかし私は課長になりたいから働いているのではない。
ここ最近話をした友人が会社を辞めた。別な人は「俺は東京へ行く」と言った。
高校の頃と同じだ。他人の行き先がやたらと輝いて見える。
私は転職先も決まっていない。未だかつて経験したことにない完全な無職が待っている。
でも、いまの職場にいる方が不安は大きい。課長になることを夢見て、ミスと残業を恐れずホンダのファミリカーを買うために魂をすり減らすのは性に合わない。
さて、どうしたものか。
とりあえず、ストレッチをして歌でも歌おうか。
現場からは以上です。
2022年の私
ここ数年の私は、生来の逃げ癖に磨きがかかり、思考停止状態が続いていた。
自分の長所・短所に目を瞑って責任や解決策を自分の外側に求めていた。
年号や日付が変わったからと言って、自分の中身までアップデートされるわけではない。
私はここ半年ほど自分の中身を必死に点検してきた。見たくもない汚いところも確認した。
良い結果であれ悪い結果であれ、自分の意思で選択した道を走りたい。人生の脚本を自分で書きたい。勝つか負けるかわからないけど勝つために命を燃やしたい。今まで充分に負けてきたんだ。
年末になると同級生と会う機会が多い。
たまたまなのか私の同級生たちは社会で普通に活躍している。
同じ高校なのに同じ大学なのに、なんで自分は同じではないのかずっと悩んでいた。違う人間なのだから生き方や咲く時期が違って当然だと今になって気づいた。違いを見つけるのに少し時間がかかっているけど。
今年は反撃の狼煙をあげる年だ。
エンジンをあっためて、ギアを噛み合わせる。
やってやるわい。
10年後の僕たち
今から12年前、私は就職が決まって仙台から東京へ移り住んだ。
憧れだった都会での1人暮らし。しかし、それは2週間ほどで1人暮らしではなくなった。
スーツケースを1つで友人が転がり込んで来たのだ。
友人は学生時代のバイトで知り合った。妙にいろんな知識があっておもしろいし、気を使う心配もなかったので、週の半分くらいはそいつの家に入り浸っていた。一緒に作曲したり路上で歌ったり、夜の街を車で走ったりと楽しい時間を過ごした仲だ。
私の部屋は6畳にロフトのワンルームでユニットバスだった。取り急ぎ、彼はロフトを拠点とすることにした。
私はブラック企業でダラダラと働き、友人は近所のカラオケ屋で飄々と働いた。
たまに休みの日はお茶の水や上野をぶらぶらしたり絵を描いたりした。
友人は人を巻き込む力がずば抜けていたので、家に帰ると友人の知り合いやら、彼女やら彼女の飼ってるコーギーやらがいつもいて賑やかだった。
楽しくはあったが、私も彼もチャラチャラした暮らしに少し疲れていたと思う。
そこに東日本大震災が起きた。
私はあまりのショックに客先のテレビを破壊し、燃え盛る気仙沼の様子と疲弊し切った安藤優子を見ながら、繋がらない電話を鳴らした。
彼は震災があった当日にヒッチハイクで仙台に帰って東京へは戻らなかった。
何回か連絡を取り合ったが、会うことはなかった。
それから約10年後、つまり2021年12月のこと。私たちは普通にコンビニで待ち合わせをして飯を食いにいった。
きっかけは私の棚卸し。手紙を送るから住所を教えろとLINEしたが彼は教えなかった。どうせなら会って話すことになった。
年の瀬の混み合う仙台駅で、私たちはそれなりにお洒落で胃にもたれないメニューを提供してくれる店を探した。駅ビルの中の再来年には記憶に残らないような和風居酒屋で話し始めた。
仕事で苦労してきたこと、結婚して離婚しそうなこと、実家の犬の最期、お互いの兄弟の中に占い師になった奴がいること。
それぞれの10年分のハイライトはどんなに上手く編集しても3時間半では足りなかった。
僕はなぜか雑穀米を3回もおかわりした。胸襟を開いてする話はノイズが少なく、聞く方も話す方も真剣だった。17時に合流して21時半なっていた。
じゃ今度カラオケでも行こうぜと解散することを促すと「今からでもいくべ」という彼。
6-7年ぶりのカラオケは声が出なすぎて逆にフラストレーションが溜まった。
別れ際、手紙を渡した。手紙には一緒に暮らしている時にイライラしてたことや嫉妬してたことや仙台に戻らなかったことを書いた。
家に帰ってきたのは1時だった。すぐ寝る気になれず酒を飲みながらボーッとした。
2時に彼からLINEが来た。手紙の内容は全部知っていた。ごめんなと。お互いにがんばろうぜとのこと。
10年後の私たちは、10年前の私たちが想像していたよりは馬鹿ではなかったし、社会においていかれないようにちゃんと頑張れた。
えげつない現実も突きつけられた。青汁を愛飲しスポーツクラブに入会するようになった。
「お前、いい加減タバコやめた方がいいよ」
と彼がタバコに火をつけて言った。
現場からは以上です。
アウトプットする(レベル:竜)
アウトプットすると言っても、やり方や程度がある。
マッチングアプリで人と話すのは刺激的な事ではあるけれど、インプットの要素が強い。
私がしたいのは自分の意志を伝える訓練になるようなアウトプットだ。知らない人と当たり障りのない話をしたのでは弱い。
というわけで、これまで胸襟を開いて接していなかった関係者各位にお会いすることにした。
言えなかったこと、隠してたこと、その当時の思いを話すのだ。
まず思いついたのは、小学校の担任の先生。これが一番きつい。小学校の頃、忘れ物や宿題をやってこなかった生徒はかなり派手に怒られた。その当時の事がトラウマになっている同級生もいる。私は宿題やらないし忘れ物も多かったから特に酷くやられた。
今でも笑い話ではなく、私の行動原理に大きな影響与えてきた。自己分析を進める上で今まで目を背けてきた小学校時代の事が見えたのだ。
先生にどのようにして接触するか。地元の友達が先生と繋がっているわけもなく。もし連絡先を知っていたとしても怪しまれて終わりだろう。
市の教育委員会に電話してみる。
「卒業されたのはいつですか?」
「24年ほど前です」
「年齢的に退職されていますね」
そっか。うちの両親より少し年長だから、そんな年か。先生は小学校の時の強烈な印象のまま、私の中に存在していたから玉手箱を開けたような気分だった。もしかすると、どこか体も弱ってるかも知れないし、亡くなっている可能性もある。
教育委員会の方はなんとか調べてくれると言うので、あまり期待せずにお願いした。
90分後、教育委員会から入電。早すぎる。さすが役所仕事。見切りをつけるのが早い。と思っていたら。
「先生見つかりましたよ。あなたの事を覚えているそうです。電話番号と住所をお聞きしてます。」
戦慄。一瞬、緊張が体を走る。
はて、どうしたものか。
電話をかけて「今週末行っていいですか?」などというアプローチをする度胸はない。ひとまず、連絡をした経緯や私の25年を説明する為にお手紙を書く事にした。
iPhoneのメモに原稿を書く。意外とスラスラと、おもしろい手紙が書けた。便箋の字もまずまず上手く書けた。投函。
1週間後。手紙の返信はない。もしやお怒りになられた?と想像しつつも、年末に実家に顔を出すつもりだったので、そのついでに訪問できたら心地よく新年を迎えられそうだったのだが。
意を決して電話をかける。営業マン時代のセールスの電話より緊張した。願掛けもした。
6コール目で女性の声。この声は奴ではない。娘か嫁か。要件を伝えるとすぐ先生がでた。
手紙を読んだらしい。笑っていた。私は緊張して早口になる。声だけ聞いているとただの明るいおばさんだ。私はこいつに怯えて小学校時代を過ごしたというのか。玉手箱を開けた気分。
聞けば、教員を引退して学童保育の手伝いに行っているのだという。私はあなたに学童の預かり時間を超える居残りをさせられたというのに。
年末は忙しいというので、年明けにまた連絡をくれとのことだった。まぁそうなるだろうな。
決戦は2022年に持ち越された。
これが私クレージーなアウトプット(レベル:竜)
現場からは以上です。
アウトプットする
私の人生で今が一番過渡期なんだと思う。
心身共に弱っているのか、手っ取り早く物事が好転する材料を探してしまう。
でも、自分に軸も自信もないから結局は空転している。
自分の軸を探しているのに、まるで柔軟剤を選ぶかのように目の前の選択肢とユーザーの数しか見ずに材料を選ぼうとしている。
自分の目だけでは背中も耳の毛もつむじも見えはしない。
ということで、いろんな人の話を聞こうとビジネスマッチングアプリを使ってみた。
ビジネスマッチングと言いながら営業ツールのような使い方をしている人もいるようだ。
私もいろんな方がメッセージをくれて、ZOOMで3回ほど話を聞くことができた。
ここ数年、会社と家の往復しかしてない私からするとZOOMの窓から差し込む光は眩しかった。居住地も仕事も年齢も違う人の話を聞くのは感動的だった。育ったところはどんな場所か、何故その仕事をしているのかを聞けるだけでも編集前のドキュメンタリーを見ているようだった。
それに引き換え、私が相手に伝えられるのは今の現状と箇条書きで事足りるような経歴だけだった。感情も歴史も含まれていない情報しか出せるカードはなかった。
好奇心と劣等感が入り混じる。それでも自分の中身を無様でも出していかないことには音も光も反射しないし変化は起こらない。今までずっと当たり障りのないアウトプットしかしていなかった。市販化されたストーリーなんてアウトプットですらなかったかもしれない。
私はこれから自分の内部をくまなく点検して、そこで見つけたものをなるべく希釈せずに外に出していくことにチャレンジする。
現場からは以上です。
声は大事
YouTubeをやろうと思う。
風呂に大量のバスボム入れるとかゲーム実況とかではなく、シンプルに歌を歌おうと思う。
その昔、若気の至りでシンガーソングライターになろうとした時期が半年〜1年くらいあった。
その頃は今ほどSNSが普及していなかったが、ネット上でもライブハウスでも非プロのすごい曲がいくらでも聞けた。そのおかげで自分の実力の無さに気づけた。
時は流れて、職場と家の往復しかなくなり、誰かと話すことも自分の意思を誰かに示すこともなくなった。テレビからもYouTubeからも私を鼓舞する言葉は聞き取れない。
半べそかいて弾いてた曲もあったと思う。
歌は不思議なもので、必要なのに普段口にしない言葉で溢れている。I Love Youとか夜にかけるとか会社でも家庭でも言う機会はない。
つまり、大人こそ歌うことが必要なんじゃないかと思う。声仏事を為す。
小田和正のダイジョウブもかなり説得力があるけど、自分で歌ってしまえば本当に大丈夫と言う気持ちになる。
そんなわけで、iPhoneで試し撮りしてみた。
自分の歌声がパッとしない具合に落胆を隠せなかった。それに加えて滑舌の悪さや見た目の老けこみ方に絶望した。
こいつが社会に出ている一端の男なのかと目を疑った。
ダイエットはすぐに結果が出ないので、ランニングやお酒をセーブして継続していくとして、問題は滑舌と声の籠りだった。
Kindleでボイストレーニング大全集みたいな本をダウンロードしてベロや顎を動かしたり、50音を発音したりしてみた。
歌唱には目に見えた変化はなかったが、日常生活での変化は顕著だった。
「資料終わったか?」と上司が少し遠くから声をかける。「これからでーす」と返事をした声がやたらと明るかったらしく、事務所で笑いが起こった。
そればかりか、取引先からの電話を対応を受けていると「いい声してる。歌やってるの?」と聞かれる。いい声をした人が皆シンガーとは限らないと思ったが、その人は趣味でカラオケ教室をしているらしく、私がボーカルの発声をしていることを感じ取ったのかもしれない。
そんなこともあり、現状は未だに出口がないトンネル状態なのだが、アウトプットしようとすることで自分を変えていけるという自信が少しだけ持てた。
年末はもそもそと自室で撮影に勤しむことになりそうだ。
現場からは以上です。