10年後の僕たち
今から12年前、私は就職が決まって仙台から東京へ移り住んだ。
憧れだった都会での1人暮らし。しかし、それは2週間ほどで1人暮らしではなくなった。
スーツケースを1つで友人が転がり込んで来たのだ。
友人は学生時代のバイトで知り合った。妙にいろんな知識があっておもしろいし、気を使う心配もなかったので、週の半分くらいはそいつの家に入り浸っていた。一緒に作曲したり路上で歌ったり、夜の街を車で走ったりと楽しい時間を過ごした仲だ。
私の部屋は6畳にロフトのワンルームでユニットバスだった。取り急ぎ、彼はロフトを拠点とすることにした。
私はブラック企業でダラダラと働き、友人は近所のカラオケ屋で飄々と働いた。
たまに休みの日はお茶の水や上野をぶらぶらしたり絵を描いたりした。
友人は人を巻き込む力がずば抜けていたので、家に帰ると友人の知り合いやら、彼女やら彼女の飼ってるコーギーやらがいつもいて賑やかだった。
楽しくはあったが、私も彼もチャラチャラした暮らしに少し疲れていたと思う。
そこに東日本大震災が起きた。
私はあまりのショックに客先のテレビを破壊し、燃え盛る気仙沼の様子と疲弊し切った安藤優子を見ながら、繋がらない電話を鳴らした。
彼は震災があった当日にヒッチハイクで仙台に帰って東京へは戻らなかった。
何回か連絡を取り合ったが、会うことはなかった。
それから約10年後、つまり2021年12月のこと。私たちは普通にコンビニで待ち合わせをして飯を食いにいった。
きっかけは私の棚卸し。手紙を送るから住所を教えろとLINEしたが彼は教えなかった。どうせなら会って話すことになった。
年の瀬の混み合う仙台駅で、私たちはそれなりにお洒落で胃にもたれないメニューを提供してくれる店を探した。駅ビルの中の再来年には記憶に残らないような和風居酒屋で話し始めた。
仕事で苦労してきたこと、結婚して離婚しそうなこと、実家の犬の最期、お互いの兄弟の中に占い師になった奴がいること。
それぞれの10年分のハイライトはどんなに上手く編集しても3時間半では足りなかった。
僕はなぜか雑穀米を3回もおかわりした。胸襟を開いてする話はノイズが少なく、聞く方も話す方も真剣だった。17時に合流して21時半なっていた。
じゃ今度カラオケでも行こうぜと解散することを促すと「今からでもいくべ」という彼。
6-7年ぶりのカラオケは声が出なすぎて逆にフラストレーションが溜まった。
別れ際、手紙を渡した。手紙には一緒に暮らしている時にイライラしてたことや嫉妬してたことや仙台に戻らなかったことを書いた。
家に帰ってきたのは1時だった。すぐ寝る気になれず酒を飲みながらボーッとした。
2時に彼からLINEが来た。手紙の内容は全部知っていた。ごめんなと。お互いにがんばろうぜとのこと。
10年後の私たちは、10年前の私たちが想像していたよりは馬鹿ではなかったし、社会においていかれないようにちゃんと頑張れた。
えげつない現実も突きつけられた。青汁を愛飲しスポーツクラブに入会するようになった。
「お前、いい加減タバコやめた方がいいよ」
と彼がタバコに火をつけて言った。
現場からは以上です。