独楽の回転数

煩悩の少なめでお願いします。

人に知られたい

最近、本やYouTubeを見てて感じることがある。

 

何をするにも有名になった方がいい。

仮になれないとしても何事か有名になるという意欲は誰にでも必要なんじゃないかと。

 

長年サラリーマンをやってきた私からすると、営業成績以外はなるべく目立ちたくない気持ちでいた。

 

先日「街録ch」に武井壮さんが出ていた回でテレビに出る前のエピソードを話していたけど、有名になるとかテレビに出るとなるとそれなりの努力とロジックが必要だ。

その中で武井氏が言っていたのが、「有名であることはそれ自体が価値」という言葉。

たしかに、武井壮が来るとなったらライオンを倒さなくても聞いてみたいことはたくさんある。自分に何かをもたらしてくれるかもしれない期待感もある。それが知名度がもたらす価値。

 

しかしながら、凡人オブ凡人の私が、ポートフォリオも持ちギャグもない1人の中年が、中途半端な学歴と職歴を武器にして誰に何を知ってもらえるというのだろうか。

 

いや、とにかくやるのだ。

芸能人になるとか何かの賞を取るとかではなくても、会った人に最善を尽くす得体の知れないおじさんになるのだ。

 

 

もう一つ、知名度にまつわる話。

私の親戚で町議会議員がいるのだが、仕事を引退した父親がここ数年、選挙やら政務活動の手伝いをしている。

議員の親戚というのが、とにかく新しいものが好きで新規事業だのイノベーションにやたら飛びつくが、会合の時間に遅れたりスケジュール管理がぞんざいで支持者への配慮が著しく欠けるとのことだった。

一方、うちの親父は時間に遅れることは言語道断、私が子どもの頃は箸の持ち方がおかしいとか靴を潰して履いていると烈火の如くどつかれた。

そんな親父の苛立ちが募り、先日も愚痴を聞いていたのだった。

 

かなり前に家を訪問してくれた議員さんがいた、地元で有名な二世議員で当時高校生だった私は「見たことある」くらいだった。親が外出していることを伝えると私と両親へ名刺をくれて部活はやってるかとか冬場の通学はどうしてるかなどやたらハキハキと聞いてくれた。親父に聞くとその方のお父上もラーメン屋であったときに食べている箸を置いて握手をしに来てくれたとのことだった。

 

つまりは、そういうことなのだ。

大きなことや派手なことをやるのではない。知名度や評判というのはたった1人の支援者や味方が作りだすのだ。その積み重ねが表舞台に立つ人間の土台だ。

 

私もそういうビジネスマンになりたい。

打算や統計的に人に会うのではなくて、「あなたの話が聞けて本当にうれしい」と思いながらいろんな人に会いに行きたい。

その人たちを裏切らないように泥臭い仕事を迅速にやってのける。それこそが真の人気者の姿だ。

 

私もそういう人になりたい。

 

現場からは以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実家の話

実家に顔を出す頻度が多くなった。

 

金を借りに行ったり、飯を食わしてもらう目的で大変申し訳ないのだけど。

 

両親は共に還暦を越えても衰えることなく、仕事だか趣味だかで一日中動き回っていて、この歳になっても私は鍵っ子だった。

 

特にやることはないので、たいがいギターを弾いて熱唱している。ギターは20年以上お付き合いがある。

 

思いつくままに弾き語る。Mr.Childrenサザンオールスターズ宇多田ヒカルと往年の名曲から、藤井風、YOASOBIなど今どきの曲も。

 

何年も触ってないから、おぼつかない演奏ではあるが大声で歌うとスカッとするもんだ。

 

 

子どもの自殺が年間400人を越え過去最高とのこと。みんなギター持ってドラム叩いて歌ったらいい。

 

やれないことはあるけど、くそくらえな世の中だからこそ、無理ゲーだからこそバトンは私たちに渡されたのだから。

 

大森靖子さんの「Rude」を聞いていてそんなklとを思った。

 

現場からは以上です。

同世代の話

先日、取引先ともめた。

折衝の末、大事にならずに済んだ。その取引先とは今後つきあいは無くなることになったのだが、先方の社長が電話で親切にいろんな情報をくれて感心していた。

 

後日、その会社の営業が納品に来た時に話をしていたら社長は私と同い年というではないか。

先代社長の親族だそうだが同族企業のボンボンという感じではなかった。

 

すげぇ奴が世の中にいるもんだ。

 

この年(36歳)にもなると、会社員であれば中堅、早い人で課長くらいになっているのだろう。そういうお年頃なのだ。

 

今ではYouTubeやネットなどでいろんな人の生き様を見ることができるけど、会社と自宅以外の窓しかない人間からは同世代がどんな働きをしてるかは分からない。

 

23、24歳くらいの時に大学の同級生が千葉に転勤してきたので遊びに行ったことがある。その頃、私は新卒で入った会社を早々に辞めてフリーター。何にも考えてはいなかった。

 

友人の仕事終わりに集合ということで、東京駅かどっかで落ち合って友人宅へ電車で移動。見るからに疲れ切っている様子で何を食うかで揉めることもなかった。(こいつとはどこのラーメン屋に行くかで派手に揉めた。)

 

駅前で半額になった寿司とビールを買って友人宅に着く。それとなく会社の状況を聞くが、返事が朧げで具体的ではなかった。疲れているのが分かったので盛り上げようなどとは思わなかったが、寿司を食い終わってゴミをまとめて振り替えると友人は歯も磨かずに寝落ちしていた。とにかく頑張る奴なのだ。

 

時は流れて2018年。私が地元に戻った年に大学の同窓会をやることになった。大学を卒業した当初、私以外はみんな地元で就職していたが、同窓会の時は半数が転勤か転職で地元を離れていた。

 

同窓会は大いに盛り上がったし、気を使う必要もないので色々解き放った。仕事の事や家庭の事を何の気兼ねもなく話せた。

 

地域性なのか世代なのか、たまたま同じ類の人間がつるんでいたのか理由は定かではないが、私の同級生はみんな優秀な社会人だった。地方の私立文系大学の出の割には地銀とか経理とかである程度知名度のある企業でしっかり勤続していた。

 

会う度に、「お前いま何屋さんだっけ?」となるのは俺ともう1人くらいだった。もう1人も転職と引越しの数は多いが、勝算のある業界を見極めて着実にキャリアアップしていた。

何をしてるかよくわからない奴は私だけだった。

 

学生の頃は俺が一番稼げるし、一番面白いのだから社会に出ても目立つのは俺だと思っていいた。実際はそうじゃなかった。

 

私は自分が思うよりずっと内向的で打算的だったし、社会で必要なのは根性とポリシーだった。根性とポリシーを守り切れる奴らが一戸建てとステーションワゴンを買えた。

 

何で自分はこいつらみたいになれなかったんだろうと本当に悩んだ。羨ましかった。

そんな話をしても過去も自分のバックボーンも変えられない。

 

ただ、いろんな苦境に負けずにここまでやってきた同世代の選手たちを本当にすごいと思う。

努力が報われる人とそうじゃない人、恵まれた人とそうじゃない人。いろんな人がいて隣の芝はモルディブの海みたいに青く見える。

 

私は自分自身の棚卸しをして、体制を整える。

そして、自分が思う極力大きな花火を打ち上げる。

 

現場からは以上です。

 

 

 

 

金が俺に命令する

「鹿の王」にハマって、電子書籍と文庫本を読んでいた。

 

筆者のことは存じ上げなかったのだが、アボリジニの研究をされている方だそうで、ファンタジーでありながら、民俗学や地理学などの知識がないと書けないようないろんな伏線が楽しめる作品だった。自然の描写や食べ物の書き方がとても良かった。

 

 

 

そんな話はさておき、現状は未だ半車中生活が続いていて、生活の基盤はもはや粉々になった。

 

とにかく、お金が欲しい、お金を稼ぎたいと強く思うがあまり金にならないやっつけ仕事から逃げたい気持ちが強まる。

 

ここ最近もナポレオン・ヒルの啓発本を「鹿の王」と並行して何冊か読んだが、地方の製造業でのし上がる方法は説いていなかった。

 

曲がりなりにも社会保険正規雇用にすがりついて生きてきた箱入りオヤジの僕に何が出来るのだろうか。

 

やりたいことだけやるのは我儘だし、全くやりたくないことをやるのも萎える。退路を絶ってもっと偏らないといけない。

 

器用貧乏ならではの稼ぎ方はあるはずだ。百の仕事をこなすのが百姓の由来だという。千の仕事が出来たら器用貧乏とは言われないだろう。

 

もっとお金があったら、子どもたちにプラレールプラレールを敷いても大丈夫な部屋がある家をあげたい。親父にオメガのスピードマスターと屋久島の旅行をあげたい。嫁に牡蠣のフルコースを食わしてあげたい。

 

ボルボのV90を白内装で乗りたい。

レッドウィングのワバシャとオールデンの靴が欲しい。パナソニックの目をあっためる機械が欲しい。スラックスをプレスするやつがほしい。(スーツも着てないくせして)

LGの服の匂いをとるやつが欲しい。HITACHIのビートウォッシュが欲しい。

TOJIROの包丁でヒラマサを捌きたい。ケルヒャーの高圧清掃機で車と家の外壁を洗いたい。

アンバーグリスの香水が欲しい。レザージャケットが欲しい。サッカーがしたい。ガレージバンドでちゃんと曲を作りたい。エクセルとイラレを習いたい。

 

 

 

 

ええ、何の話でしたか。

私は何屋さんか分からないけども某ジェームス・ボンドのようなかっけー男になりたいのです。

 

現場からは以上です。

 

 

 

 

30,310,000円のアウディ

占いの鑑定を受けた。

 

横浜の占い事務所のZoomによる鑑定。

この事務所で鑑定を受けるのはこれで3回目になる。

 

元々占いとかスピリチュアルは好きだった。あまり人に言ったことはないけど。

 

昨年の今時期、実家で鬼滅の刃を見てる時に向かいで焼身自殺の現場を目撃してから、風水とか鬼門とか凶方位とか、その辺りを調べだしたのがきっかけで鑑定を受けてみた。

 

鑑定してもらっている占いは九星気学という分野で、日本で確立した歴史の古い占いだ。

他の占いと明らかに違うところは、九星気学の占い師(鑑定士)という方々は揃いも揃って、理屈っぽく、効果測定をしっかりやっているところ。経営者やコンサルタント、理系の有名大学卒など占いと逆ポジションにいそうな人が多い。

 

他の占いではその人の潜在的な傾向を「こんなもんです」と割り出して、日光に当たるだの何色がラッキーアイテムだの処方箋が曖昧。

九星気学の鑑定士はいつもまでにどこへ引越すであったり、転職するならこの業界に何月にと言う風に具体的な指針がある。

尚且つ、努力なくして幸せはあり得ない、事態を好転させるには痛みを伴うこともあると釘を刺してくれる。

 

そんなわけで、本格的に別居すべく引越先の物件を鑑定してもらうべくなけなしの金を使った。

結果して、ピックアップした物件は九星気学上はあまり良くないということだった。

今の家にも比較的近いし市街地にもアクセスしやすいのだが、一歩間違うと大凶方位になってしまうらしい。

 

今回鑑定してもらった先生は、離婚経験があると前回聞いていたので、その辺りの体験談もとても参考になった。聞く限りでは私の状況より遥かにハードだったようだ。

 

現時点でも十分ひどい夫ではあるのだが、やはり別居した方が後々子どものためになるのだと言う。ここ数ヶ月、安定した住まいに移りたいとずっと思っていたけど、子どものことを思って引越を強行出来なかった。

 

子どもたちのために家に帰ってくるべきと妻は言う。ごもっともだけど、朝晩、人格や存在を否定されてはこちらも何のために家に帰ってるのか分からなくなる。

 

子育てをしてもらって感謝はしている。しかし、感謝の気持ちがあったからと言って毎日18:00に帰宅して月収50万持ってくることは凡人以下の私では無理がある。

 

それを分かっていて、私に対して何の躊躇もなくいろんなことが言えるんだろう。

 

私だって良い夫に良い父になりたかったさ。

挽回しようにもどこを押したらいいか分からなくなっている。でも、どこかは押さなきゃならない。恐怖でも怒りでもなし崩しでもない希望に満ちた一手を刺す必要があるのだ。

 

車内でzoom鑑定を受けている間、隣には定価30,310,000円のアウディR8が止まっていた。かっこいい車。

 

少なくとも、何かに恐れをなして身動きが取れなくなるような人種が乗れる車ではなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

無料法律相談に行ってきた

おそらく先週の月曜日の朝、保育園の送迎の件でもれなく妻と喧嘩。俺が午前休を取って送っていくと主張している間に義母が登場。

妻と義母の叱責を受け、なんやかんや家を出た。1時間後に法テラスの予約を取った。

 

家に帰る気も起こらず、月曜から本日まで車中泊だ。

ジムでシャワーだけ浴びてレモンサワーを飲んで寝る。美味いとも思わないし寝付きも良くない。金もないので母親と妹から借りる。

 

 

こんな生活はうんざりだ。

子どものためと思って家に帰ってた。洗濯も洗い物も苦じゃない。嫁と話をすることが苦しい。嫁さんと話をして気分が良くなることはない。1日の終わりをダメ出しと人格否定で終わるのは明日になんの光ももたらさないと再認識した。

 

3連休が明け、同僚や上司から後ろ指を刺されながら午後休を取った。

 

市の中心部にある弁護士会館へ30分前に到着。

必要書類を記入して待つこと15分。弁護士の待つ部屋へ案内された。

 

少なくとも70歳は越えておられるであろう先生だった。

「宜しくお願いします。」と互いに挨拶をして着席。5秒ほど沈黙があった。

おじいちゃん先生が「どうぞ」と一言。イニシアチブを取る気はなさそうだった。

 

予習してきた甲斐もあって、現状と私の希望を端的に話すことができた。

 

私としては、まず住居を確保し生活を立て直すことと、妻との接点を少なくして子どもへの影響を減らすことが離婚の目的だ。

 

「で、このような場合はどのような手順で進めたらよろしいのでしょうか?」と先生にボールを投げる。

 

先生曰く、私の給料がないと生活が困窮するのであれば妻の実家に身を寄せるなどしてみては?と言うのが第一の助言。

そんなことが出来るならとっくにやっていますよ。それが理想だが、私から子どもたちを連れて実家に帰れなどと提案できる立場でもない。

 

その後、先生は数年後に復縁する可能性はないのか?など、ちょっと何言ってるかわからないような事を仰っていた。離婚もまだなのに復縁の可能性など分かりませんて。

 

結果すると、養育費などの条件を公正証書にまとめて両者が合意した上で協議離婚が成立する。

 

問題はその合意を当人同士の話し合いで得られるかどうかだ。かと言って弁護士がついて代理人交渉になった場合、要求のレベルが上がって泥沼化する可能性がある。

 

おじいちゃん先生は良識があったし、一つ一つ丁寧に答えてくれた。経済的に余裕がない状況を理解して極力、時間とお金がかからない道を提案してくれた。

 

次のステップは、提案するための条件をまとめて公正証書に記載する内容のたたき台を作ることだ。妻がそれを納得するかどうかはわからない。納得しなかった場合、どのように交渉するのが良いのかが関門になる。

 

道は長い。

 

 

 

 

 

 

優しさと冷酷の間

私のライフワークバランスをうまく取れば家庭でもうまくやれると思っていたけど、甘かった。

 

妻は冷静な話し合いなどに応じない。

無茶な要求と「普通は〇〇だから」の隣の青い芝を標準化するばかりだ。

 

自分を棚に上げて言わせて頂くと、妻から気持ちが後ろ向きになって自尊心を失うようなコメントを多数寄せられている。

 

世間では離婚の原因として浮気だ不倫だと不貞行為が話題に登るが、いっそのこと不倫でもしてレッドカードをもらうなら願ったり叶ったりだとすら思っている。

そして、そういう時に限って全然モテない。積極的に不倫しようとしてるわけじゃないから当然ではあるけど。

 

ネックになるのは子供たちの事。

妻は家事や子育てをしたくないからわざと仕事を長引かせて遅く帰ってくると思っているようだが、それは違う。一刻も早く帰りたいし、皿洗いや風呂掃除などは会社でわーきゃー言われながらやる事務作業に比べればかなり好きな仕事だ。

 

子供たちに会いたくないんではなくて妻との折衝がしんどいのだ。お互いにそう思っている。

 

妻に対しては子育てと家事を1人で担ってもらって感謝しているし申し訳なく思う。

転職して通勤時間が短くて定時で帰れる職場にいけば収入が多少下がっても仕事と家事が50:50になるかと考えたが、収入を変えずに時間を短縮しろと一方的に言われても無理がある。

 

よしんば、それが出来たとして関係が破綻した私たちがハッピーに暮らしていけるのか。

 

昨夜もライフワークバランスについて無理ゲーを強いてきたので、会社を辞めて専業主婦になったら家事をこなしてやると出来もしない大口を吐いた。そして今朝も口論の末に会社を午前休した。

 

最近は家に帰って出来ることをやっていたお陰で割と波風なく暮らせたので、前向きなライフシフトが出来そうな気がしていた。やはり無理そうだ。

 

午前休になったのをいいことに法テラスの予約をしたり離婚について調べたり、少し前進させた。

 

幸せになるために離婚するのだ。子どもたちが笑って暮らせるようにするのだ。

 

それだけだ。だけどそれが簡単じゃない。

 

現場からは以上です。