独楽の回転数

煩悩の少なめでお願いします。

恐怖

昨夜は例のごとくしっかり上司から詰められて残業した。

 

子どもたちはすでに寝ている時間で、妻からお叱りを受けるのが目に見えていたので家に帰るのが億劫だった。

 

Kindleで「自己肯定感を上げるのはもうやめにしよう」という本を見つけたので拾い読み。

 

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文体は悟すようなトーンであまり好みではなかったのだが、この小見出しにはっとさせられた。

 

(やりたくないことをやってしまうのは「恐れ」があるから)

 

何を言わんとしているかは内容を見なくても想像はついた。引っかかったのは「恐れ」という単語だ。

 

やりたくないことというのはどうやっても上手くいくはずがない。「それでもやらなきゃ」の意識が「恐れ」だった。

 

出来ない事や苦手な事もやりたくない事に含めると私の日常は「恐れ」に溢れているなと思った。

 

私は報連相が得意ではない。つまり、やりたくないから出来ないのだ。何を恐れているのか考えてみた。

私は怒られたくないのだ。いち早く報告をしなければ状況は悪化していくのは分かるのに出来ない。自分のミスを白状するのが怖い。ミスが起こった原因は自分なのに、言い訳を考えていると余計苦しくなる。

社会人1年目の悩みを15年くらい継続している。

 

その反面、事後報告でなんとかなる案件や単独で動かす仕事などは抜群に力を発揮出来ていたと思う。

 

どうしてこんな大人になったのか、幼少期の事を思い返した。

 

私は3人兄弟の長男で両親は共働き。

祖父母が近所にいた事もあり、よく祖父母の家にいた。弟や妹と違ってなんの文句も言わずに祖父母の家で過ごす私のことを母は偉いと褒めてくれていたような記憶がある。

 

これは第一子あるあるかもしれないが、私の中で(何の文句も言わない=偉い)がインプットされた。駄々をこねたことも多々あるのだが。

本当は寂しかったし構って欲しかったんだろうが、偉い長男の私はそんなことで泣くわけにはいかなかった。祖父母の家や自宅で留守番をしてる間、ディズニーのビデオを見てひたすら歌うか絵を描いた。両親に短い接点のなかで褒められる種目が絵と歌だったんだろう。

今でも絵と歌は抜群に得意だがテーマを与えられないと何も描けない。褒められるという目的を失ったから不要なスキルとなってしまった。

 

時は流れて、9歳。小学校3年生。担任の先生はとてつもなく厳しかった。忘れ物をした奴は女の子でも平手打ちをくらわされた。私もよく忘れ物をして痛めつけられた。この頃から報連相の恐怖が体に刷り込まれたんだと思う。最近になって母から聞いた話では、同級生の1人は未だにその当時の事がトラウマになっているそうで、お宅の息子さんのメンタル強すぎと言われたらしい。他の同級生もあれは酷かったと話題になる。

それでも、偉い長男の私は両親に何も言わなかった。その代わりに現実逃避するようにひたすらテレビを見た。そんな生活が小学校を卒業するまで続いた。

私の場合は、先生にしばかれることはあっても同級生からいじめられたりハブられることがなかったのが救いだった。授業がある数時間を除けば楽しい学校生活だったと思う。

 

中学校に入ると怖いものはほとんどなくなった。部活がしんどいのと他の中学のヤンキーが怖かったくらいで、いたって平和だった。

 

さらに時は流れて社会人。営業職になった私はお客さんからも社内でも割と人気がある方だったが、興味のない社内の帳票などはほぼノールックで回した。当然だが怒られた。

忙しくなると、帳票類の期限が過ぎるのはザラで過ぎてから上司に言い出すのは恐怖だった。

フラッシュバック。悪い習慣が出始める。

なんとか改善しようと優先して帳票をやっつけた。営業の本懐は帳票作成ではなく売上を立てることだ。うまくいくはずがない。

 

このようにして、怒られることを恐るがあまり主たる業務をないがしろにして余計に怒られるというループになっている。

 

話を戻すと、「恐れ」が視野を狭めて本来の行動を制限しているのだと気づいた。これは妻や家族に対しても同じだ。怒られるという恐怖から逃げるくせがついていた。

 

恐怖が消えるものなのか、治るものかは分からないが、私の欠点として認め、人に話していくことが少しでも楽になれる第一歩だと思っている。

 

怖という字は心に布と書く。どんなに慣れた道でも布で目隠しをされて歩くのは流石に怖い。

どんなに平坦な道でもきっと転ぶ。私の不具合はそういうものだったんだと気づくことができた。